"Vespro"のナゾ Vol.3


前回の演奏会(注:1995年7月)で演奏した6声のマニフィカートは、演奏自体の 出来や評価は別にして、演奏形態の面で非常におもしろいものであり、「今日の お客さんは幸運だ。」ということは打ち上げの席でも複数の方々の口に登った ことであった。

しかし知ってか知らずか(それは私は知らない)、来年2月に来る“幸せなお客さ ん"のことを指摘する声がなかったことを、指摘しておきたい。(わかるかなぁ)

まず、マニフィカートの演奏形態について。確かにあのような配置(注:2重 コーラスで、第2のグループを2階席両翼に分割配置した。)にすべし、という 指定は楽譜には一切書いていない。モンテヴェルディも書いていないし、校訂者 も書いていない。にもかかわらず、あの演奏は極めてオーソドックスな演奏だと 言ったら、びっくりする人もいるかもしれない。それには、ヴェネツィアの 復合唱形式あるいは多合唱形式についての理解が不可欠である。

復合唱形式(CORI SPEZZATI)あるいは多合唱形式(POLY-CHORAL)とは、 サン・マルコ大聖堂の独特の構造(祭壇の左右の上方に各々オルガン・聖歌隊・ 器楽の席が設けて有る)に依拠した作曲法で、2群の合唱が交互に歌い交わしな がら進行してゆくという、ステレオ効果(古いですな)をねらった曲で、有名 なジョヴァンニ・ガブリエリやアンドレア・ガブリエリはこの様式を発展させ、 完成させた張本人と云えるだろう。

この様式は、一方ではシュッツによってドイツに持ち込まれ、バッハのマタイ 受難曲やモーツァルトのハ短調ミサなどにまで名残を残し、また一方、対照 (左右の対照)は音量の対照へと読み換えられて、ソロとリピエーノという器楽 協奏曲の原理へと昇華していったのである。通奏低音とならび、まさに 「バロック音楽のキーワード」といっても良いだろう。

ジョヴァンニ・ガブリエリが没したのが1612年であるから、正にモンテヴェルディ の同世代人だ。音楽は、「時間の芸術」と呼ばれるように時間の流れを大きな軸と するものだが、この復合唱様式は客席(と言って良ければ)も含めた空間をも表現の ひとつの重要な要素としようとしたものだ。 柴田南雄氏は、このことについて 「こういうふうに、2群の合唱がかけ合いで歌うやり方は、じつはグレゴリアン・ チャントのアンティフォナリウム(交唱)という歌い方にも見られたもので、きわめ て古い伝統なのだが、これまでの多声音楽の中にはとくに利用されないできた のである。」(西洋音楽の歴史(上)音楽の友社 昭和42年)と書かれている。 いずれにせよ、時代精神として「空間的効果」が音楽家の視野に入って来たこと は否めないと思われる。

以上で、マニフィカートを「空間的効果」をも求めて演奏した前回の演奏形態が、 バロック音楽という面から見て「極めてオーソドックスな演奏」であったという ことが、わかっていただけたと思う。

では話は、その先へと進む。来年2月の、幸運なお客さんのための話である。

マニフィカートは復合唱様式で演奏した。それは、当時のオーソドックスな演奏と 考えて良い。 では、「ヴェスプロ全曲にわたって、その考え方を適用しよう。」 ということである。 これで、ヴェスプロの演奏会が数倍待ち遠しくなったのは、 私だけでせうか。 たしかに、マニフィカートにはエコー効果の部分があり、同じ く「聞け、天よ(Audi Coelum)」などと共に、そういう形態で演奏するのも解る。 だが全曲は?という向きもあるだろう。 では、次回からは1曲づつ「空間的効果」 の可能性を検討しながら見ていくことにしたい。

最後にデヴィッド・マンロウやガーディナーの師であり、かつてのマリナーの ブレーンでもあった、イギリスの音楽学者サーストン・ダートの言葉を引用して おこう。彼はモンテヴェルディの「ヴェスプロ」をこのガブリエリの作品と共 通するヴェネツィア様式とし、その演奏法について次のように述べている。 「…この作品全体は、反宗教改革の建物が見るものの目をくらませ・まごつ かせたのと同様に、聴き手を恍惚とさせ・当惑させるように意図されているの である。 演奏者達を演奏会場の一隅にひとまとめにしたかたちで、この “ヴェスパーズ(引用者注:Vespers ヴェスプロのことです)”を上演することは、 17世紀初期のイエズス会派の教会堂を、写真で見るのになぞらえることができ る。 共に2つの次元、すなわち神秘性と立体感が失われてしまうため、ねらわ れた効果はうすれるか、あるいはまったく抹殺されてしまうのである。」 (音楽の解釈 奥田恵二訳 音楽の友社 昭和42年 )


"Vespro"のナゾ Vol.4へ続く

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