練 習 便 り 番外編(2003年 夏)

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“竜宮みたいに浮かぶ町”  −金子みすゞのふるさとを訪ねる旅(その3)

旅人 Tenor 笹川 馨

 翌朝 朝食後、青海島巡りの観光船乗り場へと向かった。観光船は基本的に島を一周してくるコースを予定しているが、荒天の度合いにより安全なコースへと順次変更して運行される。乗り場に着いて尋ねると、この悪天候の中、島巡り一周コースの船が出発間際だと言う。確かに雨はぱらついているが風は治まっている。“ままよ”と飛び乗るとすぐに出航となった。窓には雨が打ちつける。
 みすゞが仙崎の名所を詠み込んだ八つの歌をまとめて「仙崎八景」と呼ばれるが、航路には弁天島、王子山、波の松原、花津浦と次々に「歌枕」の地が現れてくるはずだ。

 出航するとすぐ弁天島が左手に見えることになっている。 だが、みすゞが愛した弁天島は周りをすっかりコンクリートで囲われて、最早その面影を留めてはいなかった。天候とも相まって少々気分がブルーになってくる。半島東側の港から出発した船は、半島部突端に架けられた仙崎−青海島を繋ぐ橋をくぐり、右手に王子山を見ながら瀬戸を通り抜け、半島西側へ出ると舵を緩やかに右へ切っていく。昨日海を眺めていた場所がみるみるうちに後ろへ遠ざかっていく。

船上より
黄金洞
「黄金洞」の入口

 やがて右側遠くに波の松原が見えてくるが、雨に煙ってよく見えない。晴天であれば白砂青松の地が望めたはずだと思うとこの空が恨めしい。船は青海島の西海岸にさしかかる。ここらが花津浦、大きな穴のあいた岩が近づいてくる。ここからは日本海の荒波に洗われた奇岩が次々に現れる。雄渾な自然の造型に圧倒される。

 花津浦以降は外海に面した海岸となり、みすゞの暮らした仙崎とも、みすゞの詩の世界とも離れてしまうので、みすゞ探訪の旅としては寄り道かとも思えた。しかしよくよく考えてみると、漁師をはじめとして みすゞを取り巻く人たちはこの自然と風土の中で育ち・暮らしてきたはずだ。これも大きな意味で仙崎を知ることなのかもしれない、などと考えているうちにも船は進み、暗い洞穴の中に入ったり、狭い岩の間を通り抜けたりとスペクタクルが展開する。林立する岩の塔や今にも落ちそうな大岩などを通り過ぎて青海島の東海岸へ回り込み、島巡りも終盤にさしかかった頃何と雲が切れて太陽の光が差して来た。“あんまりだー。今さら晴れてももう終わりじゃんかー”という私の嘆きを他所に船は無事入港した。
 昼食が済む頃にはすっかり晴れて、夏の青空が広がり始めた。

 腹ごなしに「仙崎八景」のひとつ小松原へ行ってみようと港から南へ歩き出したが、松の木も石碑も公園らしきものも、それらしいものはさっぱり見つからなかった。空き地でひなたぼっこする猫にちょっかいをかけただけで、港まで空しく帰ってきたとき、どうやら港を取り巻く公園や駐車場などに吸収されてしまったのではないか、と想像した。公園内は完全に整備されてシュロなどが植えられ、昔日の面影は無い。

 海に浮かぶ藁屑や竹の棒などを暫し眺めた後、仙崎を一望できる場所=青海島の王子山へ登ることにした。王子山へは、海に突き当たるまで北へ上がって橋を渡ればすぐである。港沿いを歩いていけば近いが、例によって裏道を歩いていく。昨日は「みすゞ通り」の東の道を祇園社まで下がってきたが、今日は西の道を小学校の方へと行ってみることにする。途中銀行の掲示板にまでみすゞの詩が掲示されていて驚く。

銀行の掲示板

 小学校の中にはみすゞの詩を刻んだ碑がいくつもあるのが目に入る。体育館の横の壁には、一文字一文字陶器で焼いて貼り付けたみすゞの詩があった。恐らく卒業制作だろう。門の近くの掲示板には、みすゞの詩を読んだ子どもたちの感想が小さなカードに書かれて掲示・公開されている。題材は「このみち」だ。
ある子はみすゞが『ひとりぼっちの榎や蓮池の蛙や寂しそうな案山子それぞれのことを思いやっている』と書き、またある子は 『みすゞさんはひとりひとりに“一緒に行こうよ”と呼びかけている』と書いている。そしてどちらの子も、みすゞの暖かいまなざしや優しい思いやりの気持ちがとても好きだ、この詩がとても好きだと言っていた。
私は何だかとても嬉しくなった。教育や社会が殺伐として凶悪な事件が起こる世の中であるが、みすゞの生まれ育ったこの地ではこんな素敵な教材で授業が行われ、こんな素敵な子どもたちが育っている。全国の学校でも、もっともっとみすゞの詩を取り上げてくれたらいいのに…。

 途中からみすゞ通りへ戻り、昼寝の猫とじゃれたり道草をしながら王子山を目指す。海峡部では橋は地面から相当高い所(ビルの 3〜4階くらい?)を通っているので、備え付けの螺旋階段を何周も回って橋の上の歩道に出る。今朝までの悪天候が嘘のように強い日差しが照りつけ、汗が流れ落ちる。橋を渡ればすぐ王子山公園の入り口、木立が作る日蔭とぬれた土の匂いが心地よい。涼しい山道をいくらも歩かないうちに公園にたどり着く。
南側の山際まで行くと、何と素晴らしい眺め!空も晴れ渡り、仙崎、長門市中心部、彼方の山々までまさに一望である。時折観光船や漁船が眼下の水道を通り抜ける。これこそみすゞが、わが町が“竜宮のように浮かんでいる”と評し、愛した眺望である。
 砂浜は無くなり、近代的な港ができたりと当時とは変わってしまったものもあるが、やはり素晴らしいことに変わりはない。いくら見ていても飽きるということがない。景色を眺めたり、東屋に寝そべったり、楽譜を眺めたり、また景色を眺めたり…かなりの時間を過ごしてしまった。

公園より望む

忠魂碑  こんなに素晴らしい場所で旅の締めくくりができて、本来なら言う事無しなのだが、どうしても心に引っ掛かった事がある。公園内に立てられた「忠魂碑」である。
“忠”とは臣下が主君に対し言動や行動で、時には命を賭して表すもので、主従関係における美徳である。「忠魂碑」は先の戦争で天皇のために死んだ人を讃える、“忠義の心”をほめるための碑である。これを建てようとした人たちには様々な思いがあるのかもしれない。しかし、あの一つの価値観が世をおおった時代の考えに基づき、生命を投げ出した事を讃えるためのものであることは事実だ。

 様々なものの違いを見つめ、命の大切さや優しさや慈しみを教えてくれたみすゞとは、もっとも遠いところにあるものではないだろうか。みすゞが愛した町を見下ろす、みすゞが愛した場所に、みすゞの心からはもっとも遠いものがあることは、私の心に影を落とした。これを建てようとした人たちは、なぜ「慰霊碑」では納得できなかったのだろう。その碑にみすゞの詩が刻んであればどれほど素敵かと私なら思うのだが…。

快速列車  汗をかきながら町中へ戻った私は、またもや「錦町商店」に入った。かき氷を食すためである。前日の天候が嘘のような夏の暑さとなり、かき氷は最高にうまかった。「錦町商店」は、みすゞの「角の乾物屋の」に歌われた「三件目の酒屋(みすゞの生家の左隣り)」を解体したときの廃材を貰い受け、道の向かいに建てたとのこと。店内は蔵の中のように薄暗く、明治時代の新聞が貼ってあったりとレトロな味わいでちょっといい感じだ。この2日間ですっかりお世話になった。明るいおもてを見ると今日も多くの観光客が記念館に吸い込まれていく。私はこの2日間でこの人たちが決して見ることのない仙崎を見た。それは大きく言えば私の人生の財産となるだろうし、演奏会に向けてきっと何らかの力となってくれるはずである。

 駅へ向かう途中書店で詩集と色紙を購入。仙崎の書店では、みすゞの詩集は平積みのベストセラー扱いだ(当然だね!)。駅へ着くと快速「金子みすゞ号」が発車を待っていた。

列車側面 列車中吊り

 帰りも各駅停車に乗るつもりだったが、折角なので「金子みすゞ号」に乗ることにする。外装も内装もみすゞの肖像と数々の詩に飾られているし、車内もゆったりして快適だ。

 ついに発車のベルが鳴り渡った。電車はどんどん仙崎から離れていく。思えば仙崎にはツアー客を呼べるような観光スポットはさほど多くない。比較的時間をかけずにまわってしまえる。だが“全てを見てしまった”と単純に思えないのはなぜだろうか? みすゞの深い精神性が、この町とこの町の人々に受け継がれているからかもしれない。
 ともあれ、私は帰ってきた後も仙崎に心を引き寄せられている。あの町を再び訪れるとき、みすゞと みすゞを受け継ぐ人たちとの新たな出会いと発見が待っている気がしてならない。   (完)

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