練 習 便 り 番外編(2003年 夏)

【← その1 へ】

【その3 へ →】

“竜宮みたいに浮かぶ町”  −金子みすゞのふるさとを訪ねる旅(その2)

旅人 Tenor 笹川 馨

 どれ程海を眺めていただろうか。長い間だったような気もするし短い間だったような気もする。しかし海を眺めて旅行を終わるわけにもいかない。「みすゞ記念館」も見てみたいし、何より祇園祭が気になる。私はゆるゆる町の中心部へと戻ることにした。同じ道を行っても仕方がないので、「みすゞ通り」ではなく裏通りを歩いていくことにした。

 
 ぶらぶら歩いていると漁師町としての仙崎が顔を覗かせる。あちこちで昼寝中の猫を見かけるし、網の干してあるのや浮きなども目に付く。また、往年のヒット歌手が殺虫剤を構えている懐かしの看板なんかも、そのままあったりする(しかも、サイズも初めて見るデカさ!)。何だか時が止まったような感じ。 いや、しかし人々は確かに動いている。表通りよりも色濃い生活の匂いがする。緩やかな時の流れの中で何となく気ぜわしく動いている町の人々がいる。今日は祭りの日なのだ。

 

 通りを南に進んでいくと、突然 異装の子どもたちがわらわらと群がっているのに出くわした。みな裃装束である。 どうやら祭りのために集まって身支度をしていたようだ。見るとその後ろから、顔は白塗り髪は結い上げた、あでやかな和服姿の女の子たちも出てくる。 こんなかわいい出演者もいる祇園祭とはどんなものだろう。 舞台となる祇園社まではもうすぐだ。

レトロな看板
祭の準備 八阪神社
 祇園社は元々八阪神社の名で、仙崎を見下ろす王子山の上にあったそうである。名前からして疫病退散の意味もあるのだろうか。みすゞの詩「祇園社」は、秋風が吹き過ぎる頃、人影もなく松葉の散り敷く祇園社の情景を歌っている。今日は強い雨のため少々足元もぬかるみ気味だが、祭りの準備のために地域のおじさんたちが大勢集まっている。神輿を軽トラックに載せ巡行の準備をしているし、後で山車も出るのだそうだ。

祭の神事

 この祭りはいつからやっているのかと神社関係者に尋ねると、なんと数百年前から続く由緒正しい神事なのだそうだ。 そうこうするうち裃装束の子どもたちが十数人も集まってきて、拝殿の奥で神主さんが祝詞をあげ始め、お払いの神事が始まった。役員らしき大人の人の後ろでみな正座しているのだが、明らかにコソコソ喋ったり落ち着き無くソワソワしているのが何とも微笑ましい。 雨は強くなる一方で、準備のおじさんも心配そうに空模様を眺めている。何時から山車が出るのか尋ねると4時からだと言う。すでに3時を回っているのに気付き、大急ぎで「みすゞ記念館」へ向かう。

 

 肩で息をしながら「みすゞ記念館」に入ると、当時の書店の様が かなり忠実に再現されている。座敷や台所、風呂まで再現されており、子どもの頃祖父母の家で入った五右衛門風呂を思い出し、少々懐かしくなる。

 
2階にはみすゞの居室も再現されている。奥の方の別棟には年譜や資料などの展示室があった。当時のメインストリート(今の「みすゞ通り」)の賑わいを写した大きな写真パネルが迎えてくれる。

「蓄音機」という詩に目が止まった。子どもが(もちろんみすゞのことだろう)空想の翼を広げてお城の門までやってきて、正に入りなんとしたその時に、大人は無神経に蓄音機のスイッチを入れる。それでせっかくの空想は全部ぶち壊し…というそれだけの詩なのに、微笑ましく暖かいものが心の中に流れ込んできてつい涙腺がゆるみそうになる。当時の暮らしを教えるパネルもあった。当時仙崎半島の西側はずっと農地だったようで、漁業だけでない、田畑や牛馬といった百姓仕事に関係するものも生活の中にあったのだろう。また、女学校は 7月20日が終業式(今日じゃないか!)だったそうで、その日の浮き立つような心をよんだ詩も掲示されていた。その時私の心の中で、バラバラのパーツが一瞬につながった。

みすゞの部屋
 7月20日で1学期が終わる。そしてその日は待ちに待った祇園祭の日。あの写真パネルのような人の賑わい、そして縁日の屋台。みすゞもあの子どもたちのように祭事に参加したかもしれない。今日 7月20日はみすゞにとって単なる「夏休みの始まり」ではなく、1年の中の特別の日だったのだ。そして「祇園社」の詩。夏の始まりの賑わいを感じていればこそ、夏が過ぎたある秋の日、ふと祇園社を訪れたときに感じた例えようも無い寂寥感…。 みすゞの生活に、心に、詩の世界に、一気に入り込んだような気がした。
 物思いに耽りながら、祇園社…という言葉に気がついてふと時計を見ると時間は最早4時前。大急ぎで祇園社へ向かう。

 鳥居前にはすでに山車が曳き出してあった。屋根にはスサノオのおろち退治の人形が飾られている。そのうち三味線、笛、太鼓の囃子も賑やかに、山車の中で女の子が踊り出した。折り良く雨もすっかりあがっており、やがて曳き綱を持ったおじさんたちの掛け声も威勢良く、山車が動き始める。後には裃の男の子たちが続く。警護の役らしいが、両手を親に引かれた3歳くらいの「警護」もいて“警護の警護が必要なんじゃない?”などと沿道の笑いを誘う。

山車・踊り・曳き手

 観光客のための祭ではなく、地域の人たち自身がつくる地域の祭。実にアットホームだ。いたるところで停止しては、お囃子が始まり、また少し移動して、またお囃子。聞くとこの調子で夜8時まで地域を練り歩くらしい(延々4時間!)。ちょうど民宿のそばまできたところで山車を見送り、宿に引き上げることにする。観光バスでやって来て表面だけ舐めるように仙崎を観光していった人たちには決して経験できない体験をしたことで、満足感と優越感(?)で一杯だった。

 4Fの宿の窓から眺めると、まだ山車は駅前通り(通称「いいこと通り」)の車道の真中で停止しており、車がよけながら徐行運転している。

 

西の空を眺めやると、灰色の雲が少し切れて夕日が海の上を照らしている。“西のお空は茜色”(詩「月日貝」)だ。 風呂の湯を自分で溜める。宿の人はいちいちやってこないで、お茶も風呂も布団も全て自分のペースでできるのが実に心地よい宿だ。浴衣に着替え、1Fの食堂で夕食をいただく。刺身御膳のご飯をウニ丼にしてもらい“最高の贅沢だ…”と愉悦感に浸る。みすゞの食卓は豪勢ではなかっただろうが、新鮮な海の幸が並んでいたことは同じだろう。

去り行く山車
夕暮れの空
部屋へ戻ると疲れからそのまま夜中まで寝てしまった。 夜半に起きて布団を敷いていると、外は轟々たる風と雨。夕焼けって翌日晴れるんじゃなかったっけ? 明日は観光船に乗るんだけど…大丈夫かなぁ。   (続)

【← その1 へ】

【その3 へ →】


『モンテヴェルディの本棚』の目次に戻る