いきなりですが、前回の定期演奏会で書いた「演奏にあたって」を再掲します。
読み直して、演奏する意図がこれ以上加える事無く全て言い切っています。
── 音楽が好きだけれど「合唱」は聴かない、という方が結構いらっしゃるようです。
言葉のない音楽、「音響」を好まれるのでしょう。その中でも「オーケストラ」は根強い支持を獲得しています。
言ってみれば、趣味嗜好の話ですから、音楽を楽しむ。それは声、楽器どちらでもよい話。ただ、私のよう
に両方を指揮する人間にとってみれば「どうして?」と考えてしまいます。「言葉が付いている」音楽は疲れ
ると聞いたことがあります。
理解できます。言葉の世界に疲れたから音楽の世界で癒やされたい、リフレッシュしたい。なのにまた言葉
を聞いて脳を働かさなければならない。「もういいや!」でしょうか。
しかし、です。確かな感覚として、言葉を伴って与えられる「感動」は楽器に依るソレを超えます。
右脳と左脳、音楽領域と言語領域。関連する脳の全ての領域が活発化する。
それが音楽から与えられる最高、最良の贈り物です。
第一ステージと第二ステージはラテン語。多くの方々は言葉でなく響きをお聴きになるかと想像します。
それを言葉を聴き取って頂くのが「合唱団」が目指すべき事。そのようにと練習を重ねました。言葉の意味
は判らないけれど、心に響く(歌い手の思いが伝わる)音楽を目指します。──
因みに今回の第一ステージはイタリア語、第二ステージがラテン語です。特にラテン語はイタリア語の基礎と成る言語でしたが、現代では死語になって一般の会話では使われることがありません。
しかし、キリスト教会では古代から活き活きと使われていましたし、その中でも名作「 T. L. de ビクトリア Tenebrae responsories 」では 見事に内容と音楽が一致した作品と成っています。
今回の第三ステージ 『藤嶋 美穂(詩: 高田 敏子) 混声合唱とピアノのための「樹の心」』では詩の内容に即した日本語の「瑞々しさ」を合唱団に求めました。
「京都クラウディオ ・モンテヴェルディ合唱団」が今求める音色と共に、その一端を味わって頂ければ嬉しく思います。
合唱は社会の縮図です。全てが現れています。どのようなものが見えてくるか、それはお聴きになってくださっている皆様の中に有ります。
団員たちの日頃の熱意に感謝です。その団員たちを影で支え、応援くださっている方々にも深く、深く感謝します。
この演奏会にお出で頂き、ありがとうございます。心より感謝申しあげます。
音楽の素晴らしさ、そのものが彼らの表情、演奏に表れますよう真摯に向き合う所存です。
作品解説は合唱団員が書いてくれました。
参考にしていただければと思います。