人間って複雑ですね。それを識りたくて生きているみたいです。苦しさや悩ましさ、お腹を抱えて大笑い、これ以上涙が溢れて枯渇するのではと思ってしまう大泣き。人知れず泣いてしまう。
こんなにも感情を持っている人間。どれもが真の姿です。
最近は特に感情が高ぶることが多い私。世の中こんなに価値観が異なってしまうと誰が想像したでしょう。そこかしこ何処を振り向いても「疑問」だらけ。国政も医療も、経済も。
音楽だけは真の姿を表したいとの思いがどんどん強くなっていきます。音楽だけは、その感動は裏切らないと思うからです。
男と女の仲は闇ですね。でもだからこそドラマが生まれ、生の感情が渦巻く。人はそれを感じて自分の生き方を確認し、学ぶ。
人と人とが闘う。死を持って闘う。その愚行に心痛み、平和の難しさを痛感する。
C.モンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」は正にこのテーマ。置き去りにされた女が自分を捨てて去っていく男に悪態と愛を叫ぶ。音楽史の新しい扉を開いたクラウディオ・モンテヴェルディがその作曲法を駆使してドラマ性を表出する。それはその時代のセンセーショナルな事としてあっという間に各国にその音楽が伝わった。名曲が生まれた背景です。
続くT・タリス「エレミヤの哀歌」は祖国を破壊され、地を追われ奪われた民族が敵の地へと捕虜と成った人々の嘆き。人々は祖国への「帰り」を待ち望む。想像すれば、捕虜にあってはそれはありとあらゆる全ての残酷なシーンが浮かび上がる。女も男も人としてではなく勝ち誇った者の快楽、権力の誇示として扱われる。
これは現在でも起こっている事。歴史にはその残酷なシーンは残らないが(全ての歴史は強者が残すものだから)、身近を見渡せば今もあり続ける歴史の真っ只中。
前半の二曲、私にとっては「私自身の現実」でもある。そう実感する。
愛する幸福とは?人が人を愛するとは如何に多くの深い淵を渡らなくてはならないか。
奴隷と成った人々が奪われる「生きるという権利」。それに加わって祖国を失う絶望感。我が国では味わうことのなかった歴史です。だからこそ、その憂いを想像したい。祈りたい!その思い「哀しみ」を歌いたい!
後半の「たいようオルガン」は打って変わって「明るく、色彩的、小気味よさ、生きることを鼓舞させる世界観」。
改めて芸術を生む人間賛歌に心は弾む。絵本の原作者も、それを基に音楽に置き換えた作曲家。
人間って何て素晴らしい!かを示している。この曲は私が作曲家に直に書いてほしいと願った委嘱作品。
今回はその後にピアノ連弾版として多くの合唱愛好家に歌い、聴いてほしいとの編曲版(原曲はオーケストラとの共演)を使用します。
人間の全てではないけれど、その大事な感情の一部を演奏することに喜びを感じています。
前半と後半とのそのギャップがまた人間の姿。
楽しんで頂ければ幸いです。
(なお実際の演奏曲順は、前半「エレミヤの哀歌」、「アリアンナの嘆き」の順となります。)