まだまだ続いている「コロナ禍」。世界が「COVID-19」に振り回されています。人類史上、歴史に大きく刻
まれる事態に陥っています。
音楽家にとって、自身の事情に依らずこの世界を巻き込んでいる災難がこれほどの苦難をもたらすとは。
その中にあって、こうして演奏会を開催できることに感謝したい気持ちをどのように表したら良いのか、言葉になりません。
私が関係する団体ではまだ感染者は出てはいません。それぞれのメンバーがその対策にキッチリと取り組み、実践してくれているからだと思います。
今回のこの演奏会でも最善を尽くして全員で対応させて頂く所存です。
ホールの関係者の皆様方にも深くお礼申しあげます。
さて、今回のプログラムはこれまでの「京都C・モンテヴェルディ合唱団」と少し趣が異なったものと映るかもしれません。
第一部のミサは声部の絡みが絶妙で、その全体を支配する荘厳さと力強さは他の作品を凌駕するほどです。
多声部書法の巧みさは驚きを越えて畏怖さえ覚える感動を呼び覚まします。
「何度も演奏できるものではない」との以前からの思いは今もまだ持ち続けている私です。
第二部の鈴木憲夫作品、今回は「二度とない人生だから」。初演の時(女声合唱版)は会場で聴かせて頂きました。
以後、鈴木憲夫さんとは親しいお付き合いです。そのきっかけの演奏会だったように思います。
その時ご一緒だったお亡くなりになった前奥様の姿が今でも目に浮かびます。
鈴木憲夫作品の魅力は何と言っても作品の底に流れる抒情でしょう。優しさが身に染みます。
力強い作品もあるのですが(それもまた魅力的です!)、それらの曲でもずっと保たれている「優しさ」が全体を包んでいます。
今回の混声版、合唱団が持つ特徴と作品の特徴が同調となればどんなにか曲が活きることでしょう。それが楽しみで振ります。
第三部は私も初めて取り上げる作品。曲は「現代合唱作品」の様相を見せています。書法は声部が入り組み、歌詞も同時進行で綴ります。
一見、聴いている者には歌詞を聴き取れないかもしれないのですが、不思議なことにその演奏の仕方によってこれまでとは(私の経験を通して、と言いましょう)
全く異なる世界になるかもしれないとの譜読みで、この曲を選びました。
合唱団にとっても初めての音楽体験になっているかもしれません。
私のアプローチによってこの曲が持つ世界が浮かび上がることができれば嬉しいと思います。
ピアニストの木下亜子さんの絶妙のフォローに感謝です。
早く日常が穏やかに過ごせる日々となりますよう歩みを進め、そして祈りたいと思います。
相手はウイルス、目に見えない強敵です。そこに人災が加われば目を覆いたいほどの事柄が起こるやも知れません。
慌てず、騒がず、日常を取り戻して大いに楽しむ。その一刻となれば無上の喜びです。