《歴史を紡ぐ、「継続は力なり」》
No.1 第44回定期演奏会を終えて

第44回定期演奏会:2010年6月27日(日)京都外国語大学森田記念講堂

プログラム:

1)モンテヴェルディ G.C.Bianchiコレクション(1620)四つのモテットから。

2)ドゥアルテ・ローボ『死者のためのミサ曲』Missa pro defunctis 1621

3)金子みすゞの詩による合唱曲を集めて

4)ヨハン・セバスティアン・バッハ『イエスよ、我が喜び』BWV227

上記のように組みました。

この定期演奏会は大きな転換期の意味合いも持ちます。
少し、〔合唱団の歴史〕を振り返ります。

現在の「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」の母体は、京都で育った少年少女合唱団でした。ハーモニーや合唱のテクニックなどはその実践によって培われたもの。
その「少年少女」が成長し、それからの脱皮のためか、諸事情も絡んでその頃の「幹事長」が新たな指導者を求めます。
たまたま少し前に曲の指導を頼まれて行った私に、その「指導者」をと依頼。(京都から私の自宅まで「幹事長」はよく通ってきていました)
前指導者(少年少女合唱団の創設者でもありました)に御挨拶をし、後任を引き受けます。
その後、引き継いだ合唱団のメンバーと共に新しい勇みよい歩みが暫く続きます。
しかしそれぞれの事情とともに離れていくメンバー(皆年齢が若かったということもあるかもしれません)。その後入ってきたメンバーと交替が始まります。
学生のメンバーが増えた時期などは団員数も多くなって賑わっていました。徐々にメンバーの新旧交代が始まっていたのでした。
合唱団が持つ問題、ジレンマが此処で起こります。
賑わいはあるものの、音楽的な、そして一時良くハモっていた音楽に陰りが生まれます。音楽の纏(まと)まりに今一歩といったところとなり、どこか落ち着きのない時期が訪れます。
合唱団は蠢(うごめ)いていました。

「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」と改名してからの活動は、「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」のメンバーを促しての団づくりを押し進めた時期でもありました。
「モンテヴェルディ」の音楽を広めよう。「モンテヴェルディ」の音楽の素晴らしさを伝えよう。その志は団員全ての者にとって大きくまた強いコンセンサスでした。
(しかしながらその頃の合唱団、音楽的な纏まり、アンサンブルの緻密さを一層高めたいと望む私には一つ不安な項目がありました。一言で言えば、〈自立〉という問題でしょうか。集中力は本番が近づいてきて一週間ほど前から。時には前日の練習で曲が止まることも。結局、本番は一夜漬けのようなものでドキドキハラハラしたものとなります。それでも本番当日の演奏は辻褄があってしまう。それは大方の団員の実力の成せる業といってもいいかもしれないのですが、どうもそれがいっこうに改善できない。)
「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」選抜メンバーの加入は、団に新風を吹き込みました。それ以来、ハーモニー、及び音楽についての集中力、そしてアンサンブル力は確かな向上を遂げた時期が続きます。(団員の意識が徐々に変わり始めます)
団にとっての大きな飛躍が訪れた時期でした。大曲、そしてマドリガーレなどの連続演奏がここから始まっています。
そしていよいよ独立の時が来たとの私の判断で、2008年11月の演奏会をもって「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」のメンバーが抜け、新たに新生「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」の歩みが始まりました。
京都にあって、少年少女合唱団を母体として産声をあげた合唱団。それが幾度かの大小の脱皮を遂げて「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」へと成長。
旧合唱団からのメンバーも現在では一人のみと成ってしまいましたが、確かな伝統は流れ引き継がれていると思っています。(私が引き継ぎたいとの思いがあるからです)

その後、新生合唱団は二回の演奏会(内一つは大曲《ヴェスプロ》の演奏)をもって着実な前進を続けます。
そしてモンテヴェルディゆかりの地、イタリアはマントヴァ「聖バルバラ教会」、そしてヴェネツィアでの記念的な演奏旅行を成功させたのは今年の5月でした。(「名古屋ビクトリア合唱団」、「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」の有志も参加)
合唱団は更なる飛躍へと向かう行程を歩み続けています。

「第44回定期演奏会」、その会場は奇しくも「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」のメンバーと共に演奏する最後のステージとなった「京都外国語大学森田記念講堂」です。
プログラムは合唱団の実力が試されるア・カペラ。
それも難曲のバッハ「モテット」、そしてローボのレクイエムをメインに組みました。
ダブルコーラス、あるいはパートが別れる曲です。少人数の合唱団にとっては一人にかかる責任は相当大きくなるというわけです。
徹底的にハモらせる、そして緻密なアンサンブル力。そして的確な理解力。これなくして聴衆を惹き込むことなどできません。
彼らの練習ごとの上達は目に見えて顕著でした。これは以前の「弱い合唱団」の風ではありません。私が望んだ「自立」がそこにありました。
当日の演奏は、今、団にとっての、望まれる最上の演奏になったと思っています。
「合唱」の最高度の楽しみを味わう団に成長し始めました。
着実な進歩が続いています。
音楽の成長は「音楽」だけに限ったことではありません。
「合唱団」としての組織力が大きく関わってきます。
つまり、組織を作る「人」の協調です。その協調とは理解と協力、そしてそれぞれの個性の尊重とが絡みます。
個性が活かされるというのは協調の中で行われなくてはなりません。
それらを示す次なるイベントが計画されています。
「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」の地元、お膝元で行われる「合唱講座」(パナムジカ主催)がそれです。
東京、名古屋に次いで行われる私(当間)のメトード講習会です。

合唱団活動とは。
より充実した人生を送るための活動、それは音楽を通じて広く社会へと広がっていく新鮮な生きる息吹を発すること。
いつも創造的な音楽づくりでありたいと思っています。

「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」の歴史は続きます。
歴史を紡ぐこと、それは人と人とを紡いでいくことと重なる。
人が紡ぐ音楽、それは本当に美しく、感動的で、楽しく、そしてあらゆる事の示唆に富みます。
人により添って人の高みへ、高みの楽しみへと誘ってくれる音楽、そのような音楽を「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」と共に創造していきたいと強く思っています。



No.1 '10/07/15《歴史を紡ぐ、「継続は力なり」》この項終わり


left_arrow.gif right_arrow.gif


トップページに戻る